12日が誕生日で67歳になった
若い時は皆それなりに美しい
2年前 40年振りに 昔の仕事仲間と会う機会があった
物体と化した私にも
「それなりに」のプライドが残っていた
でもどうにもならず 会に参加した
40年の時を経ても
皆さん素敵に生きて来られたことが一目瞭然で
嬉しかったし 感動をもした
私はと言えば その変わりように 皆さん息を呑まれた
素敵には生きて来れなかったが
楽しくは生きて来た
その自堕落な生き様は
空気さえ 誰彼かまわず
体と心に 取り込み包みこんでしまうものだ
あれから2年 私は変わりようがなく
オットー 猫母ちゃんとなり また歳を重ねたのだ
私が生まれた村には 8人の同級生がいた
男子4人 女子4人
K君は65歳で亡くなり
M子ちゃんは23歳の若き旅立ちだった
M子ちゃんとは誕生日が同じで 産まれた時間も1時間も違わなかった
当時は家での出産が当たり前で
産婆さんが行ったり来たりの掛け持ち
9時に産まれた私の1時間後に M子ちゃんが産まれたのだ
M子ちゃんはとても優しい子で
意地悪な精神なんて皆無の天使のような存在だった
そんなM子ちゃんの3倍近くも生きてしまっている
誕生日から
ずっとずっとM子ちゃんの事を思い出し
眠れないのだ
リコメにも いっぱいいっぱい書かせていただいた
堰を切ったかのようにM子ちゃんとの思い出が溢れ出す
私が生きている事の意味はなんだろうか